美しの森幼稚園の保育観
子どもの伸びようとする力を信じて
子どもはどの子も“自ら育つする力”を持って生まれてきています。そして、一人ひとりがその子らしくみんな違っているのです。例えば、カボチャはかぼちゃとして、大根はだいこんとしてそれぞれに大きく美味しくなることが目的です。大人は、子どもの“育とうとする力”を信じて彼らを取り巻く環境(自然・物・人)を用意することが大切です。
子ども達の生活の中心は“遊び”です。子どもの遊びは大人のそれとは全く違っています。毎日の生活そのものが遊びで、常に真剣です。
遊びを通して「はっとした」気づき、「なんでだろう」の疑問、「えっ!」「あれっ!?」という発見、「分かった!」「できた!」の達成感を持ちながら遊びを通して学んでいます。そして、仲間と遊ぶことで悔しさや悲しさ、嬉しさや楽しさなどの心情を持ちながら道徳心を育んでいます。自らの人生を支える、学びの力、心の力(道徳心)の土台が育つのは幼児期です。
ある女児は、泥団子作りに夢中で取り組み、3年間で美しの森幼稚園の様々な場所の泥、土の性質を実感として知り、球体に丸める技術を極めたという嬉しいお話を卒園時に聞きました。「たかが泥団子、されど泥団子」です。“自然”に対して自主的に関わったこの経験は、生きる力と智恵、学びに向かう力になることに違いありません。
設立者石渡義一は「遊びが教育の幹となる」と言っています。このことが、幼児期における本物の教育と言えるでしょう。
美しの森幼稚園は約3,000坪の敷地に子どもにとっては、たっぷりと残された多摩の自然が、何よりも魅力的な教育カリキュラムとして子どもの育つエネルギーを受け止めてくれています。自然が失われたと言いますが、失われているのは、“自然に暮らす心、自然に学ぶ心、自然に気づく心”なのではないかと思います。美しの森幼稚園の自然はそれが学べるところです。
より多くの子どもたちが美しの森幼稚園に残されている自然環境の中で、大切な幼児期を過ごしてくれることを心より願います。
子ども達の生活の中心は“遊び”です。子どもの遊びは大人のそれとは全く違っています。毎日の生活そのものが遊びで、常に真剣です。
遊びを通して「はっとした」気づき、「なんでだろう」の疑問、「えっ!」「あれっ!?」という発見、「分かった!」「できた!」の達成感を持ちながら遊びを通して学んでいます。そして、仲間と遊ぶことで悔しさや悲しさ、嬉しさや楽しさなどの心情を持ちながら道徳心を育んでいます。自らの人生を支える、学びの力、心の力(道徳心)の土台が育つのは幼児期です。
ある女児は、泥団子作りに夢中で取り組み、3年間で美しの森幼稚園の様々な場所の泥、土の性質を実感として知り、球体に丸める技術を極めたという嬉しいお話を卒園時に聞きました。「たかが泥団子、されど泥団子」です。“自然”に対して自主的に関わったこの経験は、生きる力と智恵、学びに向かう力になることに違いありません。
設立者石渡義一は「遊びが教育の幹となる」と言っています。このことが、幼児期における本物の教育と言えるでしょう。
美しの森幼稚園は約3,000坪の敷地に子どもにとっては、たっぷりと残された多摩の自然が、何よりも魅力的な教育カリキュラムとして子どもの育つエネルギーを受け止めてくれています。自然が失われたと言いますが、失われているのは、“自然に暮らす心、自然に学ぶ心、自然に気づく心”なのではないかと思います。美しの森幼稚園の自然はそれが学べるところです。
より多くの子どもたちが美しの森幼稚園に残されている自然環境の中で、大切な幼児期を過ごしてくれることを心より願います。
美しの森幼稚園 園長
石渡 一郎